2008年09月17日
汚染米
事故米って表現、おかしくね?
ただの汚染米でしょうに。
事故米という言い方自体に、食糧用にすべきでないという意思が感じられない。
三笠フーズなどの確信的実行犯は、言うに及ばないが、農水省も同罪。
三笠フーズの財務担当者とやらが、インタビューに答えてた。
「どうしてこんなことしたのですか?」
「そりゃあ、もうけたいからでしょう。」
薄ら笑いを浮かべながら、平気で発する感覚。
それが、この会社の感覚なんだろう。
同社の責任担当者は、全て、全て残らず、民事訴訟を起こされて、社会的に葬られてほしい。
その家族のことまで、心配できない。
ただの汚染米でしょうに。
事故米という言い方自体に、食糧用にすべきでないという意思が感じられない。
三笠フーズなどの確信的実行犯は、言うに及ばないが、農水省も同罪。
三笠フーズの財務担当者とやらが、インタビューに答えてた。
「どうしてこんなことしたのですか?」
「そりゃあ、もうけたいからでしょう。」
薄ら笑いを浮かべながら、平気で発する感覚。
それが、この会社の感覚なんだろう。
同社の責任担当者は、全て、全て残らず、民事訴訟を起こされて、社会的に葬られてほしい。
その家族のことまで、心配できない。
このような犯罪が、行われてはいけないんだ。行うことで、誰かを崩壊し、自分も家族も崩壊するんだとはっきりとしめさないといけない。
利益追求が、あたりまえの行動として、とられている。
そのためには、「多少」のことは許されるという常識を作っている。
「多少」の悪が積み重なるうちに、「必要悪」になり、「ルーティーン」になる。
「多少」のことの範囲が広がる。
あの薄ら笑いは、昨日今日始まった文化じゃないだろう。
長年かけて育てられた、会社の文化。
社会全体が、そんな方向へいっている気がしてならない、今日この頃。
利益追求が、あたりまえの行動として、とられている。
そのためには、「多少」のことは許されるという常識を作っている。
「多少」の悪が積み重なるうちに、「必要悪」になり、「ルーティーン」になる。
「多少」のことの範囲が広がる。
あの薄ら笑いは、昨日今日始まった文化じゃないだろう。
長年かけて育てられた、会社の文化。
社会全体が、そんな方向へいっている気がしてならない、今日この頃。

